当山は、安産・子育てが特に御利益があるとされ「原島のびくさま」と呼ばれ創建当時より広く親しまれています。
又、寺子屋として多くの子ども達の勉強の場であった事から合格祈願や、
学業成就など多くの方々にお越しいただいております。
歴代先師から受け継がれた古き良き伝統や文化を大切にすると共に、時代に合った新しい息吹も取り入れ、
開かれたお寺を目指して日々邁進していきたいと思っております。
創建当時から伝わる「安産の護符」と「だんまつまの護符」は、大変めずらしく全国でも授与している寺院は少ないと思います。「安産の護符」は痛みや危険もなく楽に出産できるといい、「だんまつまの護符」は病を永く患い、苦しんでいる人に効き目があるとされています。「新編武蔵風土記」によると「寿命ある病人は快復を早め、見込みのない病人は楽に極楽往生をする」と言い伝えられてきました。現在の関東地方から東北地方まで広く知れ渡り、たくさんの方に授与をした記録が残っています。
明治時代中期のころから途絶えておりましたが、当時の護符を忠実に再現し復活しました。
護符の授与についてはお問合せください。
当山は「真言宗霊雲寺派有應山浄圓院養平寺」と称し享保五年七月二十四日、天下泰平・国家安全を祈念し新発田藩七代目藩主の溝口出雲守直温公により創建されました。東京都文京区湯島の霊雲寺を総本山とし、創建から霊雲寺派として宗祖弘法大師並びに派祖浄厳大和尚の法灯を灯す真言宗の寺院です。
養平寺開基の實道大和尚は直温公の帰依が大変深く、直温公のお力添えにより伽藍及び境内が整えられました。今も残る仏像や仏画、仏具の多くは直温公の寄進によるものとされております。
創建当時は寺子屋として近隣の子供達の勉強の場であり、又、宗派僧侶の修行道場でもありました。護摩祈祷も盛んに行われ近隣の方々はもちろんのこと遠方からも多くの方々に御参拝いただきました。特に「地蔵尊の安産の御守」と「極楽往生手形」と「断末魔の護符」は上州方面にまで有名でありました。
「永い患いで困っている病人に効き目があり、この護符を病人に服用させれば、寿命ある病人は快復を早め、見込みのない病人は楽に極楽往生、密厳浄土に行くことができる」と言い伝えがあります。
現在の本堂は創建から幾多の震災や戦火を逃れ、ほぼ当時のまま残っておりますが、長年の風雪や老朽で痛みが激しく平成17年から平成の大改修の名のもとに現在も修復中であります。
当山は「子安歓喜地蔵菩薩」を御本尊としております。本堂正面にお祀りしてある尊像は正式には御前立といい、誠の本尊様は御前立の頭部に蔵し秘仏とされております。
平成21年の御前立本尊様の修復の際に、秘仏の地蔵菩薩の厨子に弘法大師作との墨書きが発見されました。御前立胎内の墨書きには、鷹野察元昌興氏が江戸の大仏師法橋運長・万屋市兵衛に造立を依頼したとあります。この鷹野氏は新発田藩専属の医師であり直温公の命により養平寺創建に尽力したことがうかがえます。
寺宝である「歓喜地蔵菩薩縁起」には鷹野氏が莫逆の友である地蔵坊の浄圓という僧侶が持仏としていた地蔵尊を亡くなり際に託されたとあります。浄圓遺訓の「大仏を造刻しこの秘仏を御腹ごもりにして仰ぎ願わくは一寺の本尊に安置し給えかし」との意思を汲み「五尺一寸の新仏を彫刻し秘仏を御脳中に納め奉るものなり」と記述がありました。
この縁起は奉書8枚に鷹野察元昌興氏が詳記したもので代々受け継がれて守られております。
開 基 | 實道教雅大和尚 | 享保5年~寛延元年(1720~1748) |
第二世 | 髙健教獄大和尚 | 寛延元年~宝暦4年(1748~1754) |
第三世 | 鎫玅寶冑大和尚 | 宝暦4年~享和2年(1754~1802) |
第四世 | 髙巖教慧大和尚 | 享和2年~享和3年(1802~1803) |
第五世 | 知玄泰住大和尚 | 享和3年~文化3年(1803~1806) |
第六世 | 眉山明浄大和尚 | 文化3年~天保8年(1806~1837) |
第七世 | 慈純宥清大和尚 | 天保8年~万延元年(1837~1860) |
第八世 | 慧皎明辯大和尚 | 万延元年~明治7年(1860~1874) |
第九世 | 大仁慈海大和尚 | 明治7年~明治20年(1874~1887) |
第十世 | 實圓心塔大和尚 | 明治20年~明治43年(1817~1910) |
第十一世 | 亮圓栄仁大和尚 | 明治43年~昭和44年(1910~1969) |
第十二世 | 栄冑保人大和尚 | 昭和44年~平成26年(1969~2014) |
第十三世 | 徹山亮順大和尚 | 平成26年~(2014~) |
鎌倉時代に活躍した地元熊谷出身の武士、熊谷次郎直実公の次女「千代鶴姫」の守り本尊であったとされる「毘沙門天像」を御安置してあります。以前は福王寺の本尊様であったが同寺が廃寺になるのに伴い養平寺に移されました。
徳川家八代将軍吉宗公の二男で御三卿のひとり田安宗武公が守り本尊として江戸の仏師法橋幸慶に作らせた「愛染明王像」(栃木県指定文化財)が御安置してあります。
創建当時はこの堂で御護摩が修され、「薬師如来像」に病気平癒を願う方々の御参拝を頂いておりました。明治に入り痛みが激しい為解体されましたが平成20年に規模を縮小し復元しました。
樹齢300年以上とされる「伽羅木」は、樹高2.5m、幹回0.96mとこの種としては珍しく熊谷市指定天然記念物に指定されています。
恋愛成就・良縁成就など、良い出会いとご縁を頂けます。
衣食住の感謝をして、打ち出の小槌を撫でながら願いを込めて下さい。
日々欠かせないお花。花を想い、花を愛し、花を守るお地蔵様です。
一つお願い事をして下さい。足下にある雪駄を履いて叶えに来て下さいます。
その時、お地蔵様に名前と住所を必ず伝えてくださいね。
「ぴんぴん」と元気で健康「ころり」と寝込まず大往生を願い皆様に親しまれています。
災いだけでなく苦しみや悲しみ、心配事が出来たときには何度でもお参り下さい。
四国八十八箇所霊場をはじめ、多数の霊場から砂を頂戴し安置してあります。
400以上の仏様からご利益を頂ける『境内随一のパワースポット』です。